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【精神病理学ゼミ】夏休み後のゼミの風景

夏休みが明けて、後期授業が始まりました。4年生は就職や進学の活動の傍ら、卒業論文のスパートで忙しい時期です。大学院進学は2名が決まったようですが、二人とも心理学と直接関係なく、一人は英文学、もう一人は文化人類学です。

卒業研究は本来「スパート」のはずですが、やっとテーマが決まったというスロースターターもいて心配なところです。精神病理学のゼミでは例年、犯罪や少年犯罪の異常心理に興味を持って卒論にする人がいるのですが、今年はなく、代わりに「病蹟学」といわれるジャンルのテーマを選んだ人が多くなっています。「病蹟学」とは、芸術家や政治家など傑出した個人の活動や作品を、そのひとの生い立ちや人となり、あるいは病気と結びつけて解釈する学問です。「ヒトラーの病蹟学」のように、いわば悪人の病蹟学もあります。

今年の四回生が選んだのは、夏目漱石、三島由紀夫、シュールレアリズムの画家マックス・エルンスト、作曲家のグスタフ・マーラー、ロックシンガーのカート・コベインです。私自身は、「芸術は作るものであってああやこうや説明するものでもないだろう」という思いから、病蹟学的な研究はしていませんが、病蹟学の古典としては精神分析の創始者であるフロイトの「レオナルド・ダ・ヴィンチ論」が挙げられるでしょう。

「モナリザ」の作者レオナルド・ダ・ヴィンチは寡作、遅筆で知られ、また作品も未完成で残すことも少なくありませんでした。その一方で、強烈な知識欲から数多の自然現象の解明や解剖学、発明に情熱を燃やし、克明な記録を残しています。フロイトは、ダ・ヴィンチの創造的活動にブレーキがかかっていて、そのために作品を仕上げることができない一方、そのエネルギーが知識欲という形で研究の方に流れたのだと考えました。そしてダ・ヴィンチの創造にブレーキをかけた原因を、いわゆる非嫡出のために、幼児期に父親に引き取られたことで、実の母との関係が奪われたことに求めます。フロイトによると、ダ・ヴィンチは女性を愛することができず、少年愛に走ったのですが、それは自分を母の立場に置き換えて、かつての自分の似姿である少年を愛することだったのです。のちダ・ヴィンチは「モナリザ」を描くにあたり、そのモデルとなった女性に母の似姿を見出します。ここで立場の再逆転が生じます。母に同一化してかつての自分である少年を愛していた立場から、「モナリザ」に母を見出すことで子供の立場に戻ることができたのです。こうしてダ・ヴィンチの創造のブレーキは解け、「モナリザ」という稀代の名品を仕上げることができたというのです。

「ダ・ヴィンチ論」は、現代のキーワードの一つにもなった「自己愛」の概念をフロイトが導入するきっかけになった論文として重要です。ダ・ヴィンチの少年愛(同性愛)を説明するのに、フロイトは「母親に同一化してかつての自分の似姿を愛する」というメカニズムを考え、それを自己愛の一つの形態としました。ここで考えられている自己愛のメカニズムは、単純に自分が自分を愛するということではなく、「他者の視点から自己のイメージを愛する」ということなのです。このことは、そもそも自分が直接的に自分を愛するなどということはありえず、自己愛とは他者が(例えば親が、友人が)自分に対して持つイメージを愛することでしかないのではないかと考えさせるものです。

ところでゼミブログに便乗してフロイトを取り上げたのは、私が現在、岩波書店刊行の『フロイト全集』第3巻の「心理学草稿」の翻訳の締め切りに追われているからです。私の翻訳作業にブレーキをかけているのは何で、どうやったら解除されるのでしょうか。




(ゼミ担当教員 総田純次)



*次回は【宗教と倫理ゼミ】です 

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