ゼミリレーブログ | 人間環境大学

バックナンバー:2010年11月

【地域経済論ゼミ】インターンシップを終えて

残暑とは程遠い9月、岡崎商工会議所で2週間のインターンシップを体験しました! 僕は、それまでも中学校、高校で2度の「職業体験」というプログラムで、企業や市役所で仕事を体験させていただく機会がありました。でも、大学生としてのインターンシップは、いやぁ、強烈なインパクトでした(思い出しても汗がどっと~)。そして、中高の時とは比べものにならないほどの多くのことを学ばせてもらいました。

さて、商工会議所での配属先は「ひとづくり」という部署。ここは、簿記検定などの資格取得関係の業務や、就活生をはじめとする人材(人財)と企業とを結びつけることなどが仕事です。小さなことから大きなことまで、多くのことを学びましたが、とくに、「コミュニケーションの重要性」と「積極的に行動すること」が大切だと身にしみました。

一つめの、コミュニケーションは、就活でも重要な能力の1つだとされます。基本は、「相手の話を理解し、自分の意見をしっかり主張すること。」でも、言葉で表すことは簡単でも、実際にはとても難しく、単にスキルではなく自分の知識・考え方・意見をしっかり持っていないとできないことなんだ~と痛感しました。二つめの、積極的に行動する能力も、組織の信用・信頼にかかわる大切な能力だと気づきました。インターンシップ生でも、大学生ともなれば、一社会人としての自覚にもとづいた行動が求められます。今回、始めて一職員として周りの方々と一緒に仕事させていただいて、僕自身の社会人としての未熟さを感じるとともに、短所と長所を発見できたことは大きな収穫だと思います。今後の生活や活動にここで学んだことを大いに活かしていこうという意欲もわいてきました。

高校生の皆さんも、大学ではインターンシップをはじめ、自分を一回りも二回りも大きく成長させてくれる機会が一杯ありますよ。ぜひ、大学でチャレンジしてください。


*ゼミ教員から一言
商工会議所の皆様、本当にありがとうございました。ご挨拶かたがたN君の様子を見に伺ったら、カチンカチンになって奮闘していたね(笑)指導担当の方には、「まだまだ!愛のムチをいれなければならない点がめにつきます(笑)。N君は「伸びしろ」があるんだからがんばって。」とのコメントでした。おかげさまで、ゼミでも、N君は成長したなぁと感じます。密度が濃かったのでしょうね。私も教師として、引き続き愛のムチを入れたいと思います。





(ゼミ生3年Y.N)



次回は【基礎心理学ゼミ】です。

【日本語教育ゼミ】教育基本法第10条 体罰条項の改正でディベート

教育基本法第10条 体罰条項の改正でディベート

なにやら難しそうなことばが並んでいますねえ。
でも,メンバーは,「正常な教育の場」を取り戻す策を真剣に議論しています。


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肯定側論点              


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論題をイメージしてみました


ということで,今回の論題は
「丸めた教科書で頭をたたく行為」を体罰から外すべし」です。


なぜ,この論題を選んだか。

1.メンバーは,教員志望である。
2.メンバーは,自身の体験より,「子どもは,どのようにして正しいこと,間違った事に気付くか」という教育の基本を考える必要性を強く感じている。
3.メンバーは,自身の体験より,「教室では生徒の自由は認められているが,教員の教育方法は,きわめて制限されている。」現状を,改善すべきと強く感じている。

たとえば,生徒が教師を言葉や暴力で傷つけることは日常茶飯事。でも,罰を与えられない。教員は,「丸めた教科書で頭をたたく」ほどの軽い接触も許されていない。もちろん,ことばには最新の注意を払わなければならない。生徒は傷つきやすいと思っているから。

「今こそ,教育を教員の卵である若者が真剣に考えなければいけない」!!
 
教員の卵よ。たちあがれ!!!!   




(ゼミ生 M.H・Y.Y・T.F)



次回は【環境保全論(生物多様性論)ゼミ】です。

【環境保全論(生物多様性論)】2010年8〜10月の調査から

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ミズアオイ(Aug. 17, 2010,信濃川で撮影).
河川敷の掘削跡に成立した“わんど”に大きな群落が出現.以前に,琵琶湖の塩津湾干拓地の水田耕地整備現場で一面の群落を見たことがある.長期埋土種子のなせる技だろう.数十年以上の期間を土中でじっと生き続けることにも驚かされるが,それ以上に深い眠りから一斉に目覚めるメカニズムに驚愕するばかりである.


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ナガエツルノゲイトウ(Aug. 22, 2010,淀川で撮影)
淀川で珍しい植物があると知ってわざわざ出かけて初見したのが2000年.そのときには,今のような被害が出るとは露ほども思わなかった.侵略的外来種という概念はいまでこそ広く知られるようになったが,その当時の私の認識は植物研究者としてはあまりにも恥ずかしいものだったことも事実だ.


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札幌市モエレ沼(Sept. 1, 2010撮影)
三日月型をした河跡湖.札幌周辺の地図を見ていると,過去の河道の変遷と明治以降の石狩川の付け替えを読み取ることができる.植物調査においては,地図から過去の変遷を読み取り,どこが有力な調査候補地かを見いだす作業が最も重要.広い石狩平野を闇雲に歩き回るような愚を犯すことはできない.


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タカアザミ(Sept. 13, 2010,信濃川で撮影)
河川敷や荒れ地にゲリラ的に集団が出現するが,50株以上の集団を見つけるのはなかなか難しい.数年で個体群が崩壊するようで,神出鬼没という言葉がぴったりする.


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ツルスゲ(Sept. 18, 2010,近江八幡市西の湖で撮影)
琵琶湖沿岸域での本種の生育は,氷期の証人という意味で,深泥ヶ池のホロムイソウに匹敵する大発見であった.この写真からその貴重性を感じて頂きたい(無理だろうな・・・).


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ジュンサイの生育する溜池(新城市作手,Sept. 19, 2010撮影)
秋の日だまりの中,静かな溜池の風景に出会ってちょっぴり喜びを感じる.


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雄物川(Oct. 2, 2010撮影)
氾濫原の植物を調査するために全国の河川を巡っている.今秋は,秋田県に足を運ぶ機会があった.東北の河川は,西日本のそれらと違って氾濫原の規模は大きいものの,地形や環境の変化に乏しくて植生が単調な印象を受ける.冬季の積雪の影響もあるのだろうか.


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福島潟(Oct. 10, 2010撮影)
2年ぶりの訪問だったが,大規模工事が継続中だった.以前の夏に見たときのように,オニバスやミズアオイが出現するだろうか.来夏にどんな植物が出現するのか興味深い.


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池底が干出した大野池(和泉市信太山,Oct. 16, 2010,撮影)
大阪府でも有数の丘陵地の自然が残る信太山.10年ぶりに再訪した場所でサギソウやトキソウと再会することができて感無量.






(ゼミ担当教員 藤井伸二)



次回は【地域経済論ゼミ】です。

【演劇と身体論ゼミ】~表現する喜び~

みなさま、こんにちは。「演劇と表現論」担当の森順子です。寒くなりましたね。お元気でいらっしゃいますか。

「演劇と表現論」プロゼミのみんなで今年もまた大学祭で演劇の発表会を行いました。三グループに分かれてそれぞれが独創的な劇を演じました。自分たちで脚本を書き上げて練り上げた劇です。たくさんの観客のみなさまが観に来てくださいました。ありがたいことです。

普段の自分とはかけ離れた演劇の世界に身を置くこと。身体を使って、ことばを使って、舞台の上で登場人物になりきる。リハーサルと本番を通して、仲間と協力し、演じ終えたときみんなの顔が輝いていました。やり遂げた思い、充足感を味わえることは本当に幸せなことであると思います。

みなさま、風邪をひかないようにお気をつけて、どうぞお元気にお過ごしくださいね。





(ゼミ担当教員 森 順子)



次回は【日本語教育ゼミ】です。

【宗教と倫理ゼミ】バチカンと日の丸

昭和6年(1931)に作られた日活映画に『日本26聖人-我世に勝てり』というものがある。1597年長崎西の坂で殉教した日本26聖人の 殉教物語である。これは長崎のカトリック信者平山政十氏が私財(現在の金額で6億円位)を投じて作成し、完成後は映画を持ってアメリカやヨーロッパに興業に出かけたという。この映画は教皇ピオ11世(在位:1922年-1939年)の後援と時の総理大臣若槻礼次郎、犬養毅政友会総裁、イタリア首相ムッソリーニが賛助して作成された。

最近、この映画の最後にある日本26聖人列聖式(1862年)の場面に日の丸が出てくるのが気になって調べてみた。形は横棒がついた縦竿に縦長に白地に丸(白黒映画だから赤かどうかは分からないが)が描かれている。はて、これは 1862年の当時の実写だろうか、あるいは教皇庁とムッソリーニの合同による再現演出なのだろうか?無声映画(動画)は1890年代にならないと登場しないので、実写ではないのだろう。演出とすれば大変な数の人々を動かして再現していることになる。列聖式に国旗を使うものなのだろうか?そのあたりはまだ詳らかではない。その「丸」のサイズが、本当の現在の日の丸の比率と同じなのか、やや小さめとすれば、その起源は伊達政宗が欧州に派遣した支倉常長の使節団が持って行った「日之丸大龍」の記憶が残っているのかもしれない。それより以前の天正遣欧少年使節の一行は教皇に謁見し、直後に教皇の死に伴う新教皇の戴冠式に参加しているくらい教皇庁と関係が深かったが、国旗を持っていったという情報は知らない。

バチカンは二百数十年後に列聖をするくらいであるから、古い旗のことも記憶として残っており、再現画像の中に登場したと見ることもできるのだろうか。長い歴史とそれを記憶する人の営みをふと振り返って、興味深い。





(ゼミ担当教員 伊藤利行)



次回は【演劇と身体論ゼミ】です。

【文化人類学ゼミ】妖怪・怪談について学んでいます

今年の文化人類学のゼミでは、妖怪・怪談について学んでいます。皆さんは妖怪と聞くとどのような事を思いますか。例えば、人を食べたり襲ったりするような恐ろしい存在だったり、人に悪戯するけど逆に捕まってしまってお説教されてしまうような少し滑稽な存在だったりしますか。

これらの妖怪と呼ばれるような存在は現在の社会では存在しないものとして扱われる事が多いと思います。では、何故昔の人々は居ない筈の妖怪を信じてその存在に恐怖したり、またはその存在を滑稽な笑い話として現在まで語り継いだのでしょうか。

それを信じていた人々は何故そのような存在しない者を信じ、語り継いだのか。そこには妖怪を信じていた人々の何かしらの思いや、それを信じるようになった風潮や出来事があったのだと思います。

また妖怪をテーマとしていくと、妖怪と言うものもう滅んでしまった過去の産物なのかという疑問にぶつかります。では、本当に滅んでしまったのかと言えば決してそんな事は無いと言えます。一時期ブームとなった学校の怪談などに語られる存在は、非常に妖怪に近い性質を持っていますし、都市伝説と呼ばれる現代の道具や背景を多分に含んだ新しい形の怪談も生まれています。こう言った事から妖怪や怪談は過去の産物なのではなく、時代のエッセンスを吸収しつつ未だに進化し続けているものだと言えると思います。

私たちは前期には宮田登著『妖怪の民俗学』などを読み、今はより専門的な小松和彦編『記憶する民俗社会』を分担しながら報告・議論しています。

現在は様々な媒体で色々な妖怪が紹介されています。皆さんも妖怪や怪談について少し考えてみるのはいかがでしょうか。怖さや滑稽さの裏に何かが垣間見えるかもしれません。





(大学院1年 M.S.)



次回は【宗教と倫理ゼミ】です。

【環境倫理学ゼミ】遅ればせのゼミ夏合宿リポート(愛知県最高峰!)

地球温暖化の影響か、暑い夏がいつまでも続いた後に、突然に冬がやってきたようです。こう寒くなると9月初旬の合宿が遠い昔のように思い出されます。


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今年の合宿は、愛知県最高峰茶臼山の山頂まであと少しのところにある「休暇村 茶臼山高原」のコテージで行いました。2年生から4年生まで総勢18人でしたので、女性棟1棟含めて4棟も使用しました。下界は恐ろしい暑さの続く中、茶臼山山頂付近はさすがに涼しく(例年よりは暑めでした)、快適にゼミに集中できました。いや、集中してもらいました。

卒業予定者が多い、つまり卒論を書く予定のゼミ生が多いということで、今年は初めて2泊しました。3日間、滞在中はとにかくゼミ発表を延々と続けるという、体力勝負、集中力勝負の計画です。しかし、いくらなんでも2日目の晩には打ち上げがしたい、ということで、なんとか2日間で発表を完了させようと、とにかく、ギュウギュウ詰めの発表計画を作成。学会でも、こんな日程見たことがありません。

発表は環境倫理から生命倫理、あるいは経済と環境の問題、レジャーとエコロジーなどなど、さまざまなテーマで卒論の進捗状況の発表がなされました。が、長く続いた就職活動の影響か、例年に比べ準備が整っていないものもあり、10月、11月、12月の3ヶ月、最後の頑張りが期待されます。(3年生の10月から始まり、4年生の10月まで続く現在の日本の就職活動は異常です。来年再来年には改善しているでしょうか?)
 
2日目は朝食直後にゼミ開始なので、1日目の夜は静かに就寝してもらう予定でしたが、寝ていない棟もあったようです。それにしても、山のてっぺんでまわりに明かりがない環境ということで、夜は星が本当にきれいに見えました。天の川や流れ星も見えました。

さて、2日目の発表の日程も何とか終わらせて、打ち上げ(バーベキュー)をコテージの外で行いました。炭火を熾すのがうまくいかず、なかなか食べられないグループや、暗くて何を食べているのかわからないグループなどありましたが、近くに他の宿泊者がなかったので、にぎやかに打ち上げをすることができました。


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打ち上げ翌最終日、午前中は茶臼山山頂に登ったり、蛙の博物館へ行ったり、ようやく茶臼山へ来たことを実感できました。帰りの道のりは遠かったのですが、何とか無事に帰着となりました。


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茶臼山登山道


それにしても、ヘビーな日程、本当にご苦労様でした。
あれからもう、ふた月経ってしまいました。卒業論文もラストスパートに入ります。そして、6・3・3・4の16年間の教育期間もあとたったふた月。心残りのないように、充実した大学生活を送ってもらいたいと思います。





(ゼミ担当教員 内藤可夫)



次回は【文化人類学ゼミ】です。 

【人間関係論ゼミ】組織と人間を考える

後期の「人間関係論講義」では、会社などの組織の中で人間がどのように行動しているだろうか?ということを、特に人間関係から影響を受けている行動を中心に概観しています。

多くの受講生のみなさんは、これまでに部活動やサークル、クラスなどの「組織」に所属してきました。大学生になってからはアルバイトなどで組織に属している人もいることでしょう。

「気の合わないメンバーがいる・・・」というようにそこでの人間関係がストレスになってしまっている人もいれば、「不思議とこのメンバーと一緒に行動していると目標のために頑張れる」という人もいます。

組織で働く中での「ストレス」や「やる気」についてのメカニズムを心理学的にみていくことが、新しい仕事を任されたとき、部下を持ったとき・・・といった将来のさまざまな場面において、戸惑い迷いながらも多面的に問題を考えていくための基礎となればと思います。





(ゼミ担当教員 三後美紀)



次回は【環境倫理学ゼミ】です。

【身体文化論ゼミ】うなぎパイについて考えました

身体文化論(社会・文化環境論)ゼミでは、日常、あたり前になっていることを、議論を通じて掘り下げ、その当たり前のことが、社会・文化と深く関わっていることに気づくことを目標にしています。

ゼミ生のT.S.さんが、うなぎパイの工場見学に行って、ゼミでその報告をおこないました。そのときの報告とゼミで話し合ったことを、T.S.さんにまとめてもらいました。

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私は、夏休みにうなぎパイ工場に見学に行きました。すごく楽しかったのですが、そこで不思議な点が二つ出てきました。
①ご飯のおかずになるうなぎと、お菓子のパイが何で組み合わさったのか蒲焼にすると美味しいうなぎとサクサクお菓子のパイの組み合わせって、よく考えるとミスマッチな気がする。
②うなぎパイの「夜のお菓子」というキャッチフレーズの意味が不思議
お菓子って3時のおやつに食べるイメージなのに、わざわざ「夜のお菓子」っていうキャッチフレーズは何だか怪しい。

そこで、浜松のうなぎパイをつくっているS堂のホームページで調べてみました!!
まず①の、うなぎとパイの運命的な出会いは・・・
何故「うなぎ」のお菓子を作ったのかというと、浜松らしいお菓子をつくりたかったからだそうです。S堂の二代目社長のK.Y.氏は浜松ならではのお菓子をつくりたいと日々思案していたようです。そんな中、とある旅先でこんな会話(少し脚色しました)があったそうです。

旅先の方:「どこからいらっしゃったんですか?」
K.Y.氏:「浜松ですよ」
旅先の方:「え?どこですか??」
K.Y.氏:「浜名湖の近くなんですが・・・」
旅先の方:「ああ、うなぎの美味しいとこですよね」

この会話をしたときに、浜松はまだ知名度が低く、浜名湖の方が有名でした。そしてこの辺りといったら「うなぎ」しかないとK.Y.氏はひらめいたそうです。旅先から帰ったK.Y.社長は職人を集め「うなぎ」をテーマにした創作菓子をつくるように指示をしたそうです。そのなかに当時はまだ珍しかったパイ菓子が得意なものがいて、そこから誕生したのが「うなぎパイ」だそうです。

しかし、これだけではないように思います。うなぎパイが誕生した昭和36年頃は、高度経済成長期のまっただ中で、人々の間には、健康不安があったようです。たとえば、「日本人全部がスタミナ不足の幻想に悩まされ、ビタミン剤信仰にとりつかれた時期があった」(『CM25年史』)ようで、多くの栄養ドリンクなどが発売されていました。そのなかの商品のキャッチフレーズとして有名なものに「ファイトでいこう」といったものもありました。このような時代において、ウナギの持っている「栄養価」が高いというイメージもこの新製品の人気に寄与したのではないでしょうか。

次に②の、変わったキャッチフレーズの真相は・・・
夜のお菓子とは家族団らんのひとときに食べてもらいたいという意味のようです。命名者も社長のK.Y.氏です。うなぎパイが誕生した昭和36年は、さきに述べたように、高度経済成長のまっただ中。その高度成長期において女性も社会に働きに出るようになり、子供たちも学校・塾など・・・皆が家にいる時間が少なくなりはじめていたようです。この頃は、マイホーム主義の時代でもあり、夜の夕食だけは家族の集まる団らんのひとときとして大切にされていた時間でした。そんなひとときに「うなぎパイ」を囲んで楽しいひとときをすごしてもらいたいと命名されたのが「夜のお菓子」です。この奇妙な(?)なキャッチフレーズには、戦後日本の社会と社会意識の変化がちゃんと織り込まれていたのです。

いつも何気なく食べていたうなぎパイだけれど、ちょっとした疑問を考えてみれば、ひとつのお菓子の中に、社長の地元を大切に思う心や、当時の社会・文化的背景(高度経済成長、それにともなう健康不安、マイホーム主義等)が深く関わっているかもしれないことが分かりました。





(ゼミ担当教員 石上文正)



次回は【人間関係論ゼミ】です。

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