バックナンバー:2011年02月
【宗教と倫理ゼミ】動き出した中東
チュニジアに始まった民衆による政変が、エジプトに広がり長期に渡ったムバラク政権の崩壊に至り、現在リビアに及んでいる。いずれも民衆によるインターネット媒体を利用した運動が力となっている。中東をはるか離れた中国でも、民衆による同様の運動が起こらないようインタネット関係の接続を切るなどの予防措置を講じている。ネットが革命を起こすという流れは、世界的に今後もとどめることは誰もできないであろう。その意味で中国への影響は大いに注目されるが、目を中東に限定しても、政変が起こってしまった国々以外でも、どんどん連鎖反応が起こり、数年間は混乱が継続すると思われる。
湾岸戦争に始まる中東秩序の崩壊は次の段階に入ったと考えられる。アメリカによる力の行使により何が生じたかを世界は良く知っている。結局かき混ぜただけで、現場の事情を短期に安定にもたらすことはできなかった。同様にアフガニスタンでもタリバンの力の回復によりアメリカは第二のベトナムに近い現実に直面する可能性も濃厚である。
既成秩序崩壊後の政治的経済的安定にとって、この地域の無視できないファクターは宗教である。特にエジプトの政権の今後は、イラク以上に今後の世界情勢に大きな影響を与える可能性を濃厚に持っている。ムバラク政権の前のサダトの時代にエジプトはアメリカの肝いりでイスラエルとシナイ半島返還と莫大なアメリカからの持続的経済援助を条件に単独講和を行った。その後、サダトは暗殺されムバラクが政権についたわけである。
エジプトは、日本人にとっては、古代エジプトのピラミッドなどで親近感があると思われるが、現代世界において、観光資源以外に経済的基盤を所有せず、中東の産油国に出稼ぎ労働に出る以外にすべのない国なのである。その意味で、アメリカのプレゼンスはエジプトにとってかけがいのないものであり、その関係を維持することがエジプトの安定と繁栄につながる。
このアメリカがイスラエルを協力に支持しているのは周知の事実であるが、中東ではアメリカは嫌われ者である。イスラエルとアメリカに対する反感が、イスラム教内部の宗教的な宗派間対立と絡まって、イラク以上の混乱に陥れば、事態は重大な局面を迎えることになる。
日本人は、宗教問題に鈍いが、世界を見渡して、この問題について無知でいては未来を正しく切り開くことはできないであろう。
(ゼミ担当教員 伊藤利行)
次回は【演劇と身体論ゼミ】です。
2011年02月28日(月) | 歴史・言語文化コース | 固定リンク
【文化人類学ゼミ】 卒業生武田淳君のコスタリカからの近況報告
少しずつ春が近づいてきていますね。文化人類学ゼミ担当の藤本です。
今回は半年前に寄稿してもらった卒業生(二期生)の武田淳君にふたたび寄稿してもらいました。以下彼の文章です。
私は今、JICAのボランティア(青年海外協力隊)として中米のコスタリカの国立公園で働いています。コスタリカという国を皆さんはご存知でしょうか。コスタリカは、北米と南米大陸の間のくびれた地域にあり、運河で有名なパナマの北側にある国です。面積は、四国と九州を合わせた位の小さな国ですが、国土の約4分の1を自然保護区として保全している、環境にとても力を入れている国です。
私が働いている国立公園もそうした保護区のひとつです。勤め先の国立公園は、海沿いの公園で、沿岸部にはビーチが広がり、国内でも有数の観光地のひとつになっています。動物は、サルやアライグマ、イグアナなどが生息していて、海水浴だけではなく、動物を観察しに来るエコツーリストたちで賑わっています。
仕事は、文化人類学の調査員として働いています。文化や社会の調査をする私が、自然保護区で活動するのは、不自然に思うかもしれません。その理由は、自然保護区も「誰か」の土地であるからです。自然を保護する、といえば聞こえが良いかもしれませんが、それは「ここに立っている木を切ってはいけない」というように、自然の利用に規制をかけることを意味します。木が切れないことは、都市的な生活をしている私たちには、あまり関係のないことかもしれません。しかし、自然に依存しながら生活している人々にとって、それは重大な問題になるかもしれません。つまり、自然を守ることと同時に、そこに暮らす人々の生活のバランスをどのようにとっていくかという問題が、自然保護区を巡る政策のひとつの課題になっています。
今、私が取り組んでいるのは、国立公園の土地に、以前暮らしていた人々の生活調査です。私が働いている国立公園は、過去2回に渡って、敷地を拡張していった歴史があります。その過程で、かつて小さな集落があった地域も国立公園に編入しています。住民の人々は、国立公園ができる過程で強制退去にあっているのですが、その彼らの現在の生活実態を探る調査をしています。
自然保護区ができる過程で移住を余儀なくされる例は、コスタリカに限らず、他の国々でも起っている問題です。こうした地域の報告でしばし問題として挙げられるのは、移住先で突然生活を変えられるはずもなく、元の生活を求めて、仕方なく再び元の土地に戻っていく人々の姿です。彼らからすれば、やむにやまれぬ行動ですが、しかし、自然保護区となった土地へ許可なく入ることは「違法行為」として処罰の対象になってしまいます。こうした事例からは、自然保護を重視するあまり、人々の生活を軽視していないだろうか、という批判があがっています。
私は、コスタリカでも同じような現象が起っているのではないかと思い、現在の調査をしています。コスタリカは自然保護の政策にとても力を入れていて、「自然のために自然を保護する」ことは、一定の成果を挙げているように思います。一方で、「地域の人々のために自然保護区はどうあるべきか」という問題は、あまり政策に反映されておらず、今後の課題だと思っています。
私は、現在の活動を通して、そうした問題提起を行えたらと思っています。まだまだ、言葉(スペイン語)も十分でなく、コミュニケーションをとるのに苦労をしていますが、それがコスタリカの社会に対する私なりの国際協力だと考えています。



(ゼミ担当教員 藤本 武)
次回は【宗教と倫理ゼミ】です。
2011年02月24日(木) | 歴史・言語文化コース | 固定リンク
【人間関係論ゼミ】この1年を振り返って
今年度スタートした人間関係論講義でしたが、受講生の皆さんからは、「アルバイト先での出来事で、授業で扱われていた内容に関係することがあったので、自分でももう一度考えてみようと思った」「ストレスのメカニズムについてもっと詳しく知りたいと思う」などの感想が寄せられ、身近な事象を心理学的に捉えるための準備をするという目的はほぼ達成できたのではないかと思われました。
「心理学的研究」への関心が元々高い受講生はそれで結構なのですが、「研究」というとやや抵抗があった受講生も、自分も研究に取り組みたいというように学問への親しみがわいたのではないでしょうか。
さて、いよいよ寒さのピークが過ぎました。春になりましたら人間関係論特殊講義Ⅰが開講されます。まずは人のライフサイクル上の課題を概観しながら職業を通しての成長・発達ということを考えていきます。
(ゼミ担当教員 三後美紀)
次回は【文化人類学ゼミ】です。
【環境倫理学ゼミ】静かな山の暮らしをおもう
大学は卒業論文の口頭試問を終え、2月半ばから春休みになります。
大学の周辺は一番静かな時期で、春あたたかくなるまで演習林も眠っているようです。

大学演習林:鬱蒼としています。実はこの奥に弓道場があります。
人間環境大学の周辺には多くの自然が残っていて、大学も森の中にあるような雰囲気ですが、この森は信州の南部(南信)から延々と続く奥三河の山地帯の南の縁にあります。この縁に沿って東海道が通っていて、もうひと山、南に越えれば蒲郡の海に出ます。

奥三河、茶臼山より南アルプスをのぞむ:かすかに見える山のシルエットが山梨県の南アルプス。山々が延々とうねりながら続いている。撮影は夏。
この奥三河の何十キロも続く山地帯には、町や村が点在しており、何百年も、もしかすると何千年も継がれてきた暮らしがあります。
山や川そしてその間に幾星霜、洗練されてきた暮らしですが、その多くは忘れ去られてしまいました。特に、山の暮らしについては、それを伝える人々もなく、その人々の記憶も失われてしまいました。

くらがり渓谷の田原坂でシカに遭遇:大学からさらに奥三河へ数十分。鹿や猿は大学周辺にも出没するようです。
森には木が生え、落ち葉がつもり、草が茂り、虫や動物が棲んでいて、常に新鮮で未踏の印象を与えますが、そこには実は人間の長いくらしの歴史が埋もれているのです。この本宿周辺の自然もそうです。
人間の生き方があまりに変わってしまったため、我々の目にはその痕跡も見えませんし、たしかに自然の中に暮らしの痕跡も埋もれてしまったのですが、忘れ去られた多くの人生に思いを馳せるとき、そこに何か見えてくるように思われます。

奥三河の森の中:岩に苔生している。
環境倫理学ではそういう埋もれて忘れられてしまった人間と自然とのつながりの歴史についても考えています。ほんの100年ぐらい前までの、私たちには新鮮な人間の生の歴史です。
(ゼミ担当教員 内藤可夫)
次回は【人間関係論ゼミ】です。
【社会・文化環境論・身体文化論ゼミ】ユニークな卒業論文ができました
今年の社会・文化環境論(身体文化論)ゼミでは、6つの卒業論文が書かれ、いずれも、ユニークなテーマで、その考察も独創的なものが多く、ゼミ担当教員としてはとても満足しています。以下で、その要約を紹介しまし。
「韓国映画における物語の構造的要素について」 A.M.
5つの韓国映画を分析して、9つの構造的要素を見出した。それらは、「劇的な出会い」「代役」「身分落差の恋」「障害」「精神・身体的危機」「変身」「隠れている真実」「不思議な因縁」「一歩手前のハッピーエンド」である。これらの要素がすべての映画に見いだせるわけではないが、「代役」「隠れている真実」「一歩手前のハッピーエンド」は、5つのすべての映画に見出すことができ、韓国映画では重要な役割を担っている。
「コンビニエンスストアの色の差別化:店舗デザインに注目して」 H.S.
サークルK、サンクス、セブンイレブン、デイリーヤマザキ、ファミリーマート、ミニストップ、ローソンの計6社7店舗のファサード・デザインの型と色の差別化について研究した。型は、サンクスにみられるブロック型と他の店舗のストライプ型に分けられ、ストライプ型の方が、分かりやすいと考えられる。また、コンビニが、どの色を用いるかを選択するとき、①色そのものの持つ効果(誘目性)、②隣接する色を選ぶ際の選択肢の多さ、③他店舗との色の差別化(暖色系の色が多い中の青)、④色相対照の配色形式の4つの要因が関わっていると結論付けている。
「ペットボトルパッケージの差別化」 Y.T.
コカ・コーラ社、サントリー社、キリンビバレッジ社の3社のペットボトル飲料のパッケージの色彩デザインについて考察した。まず、コーヒー飲料、茶系飲料、スポーツ飲料、ミネラルウォーターの4種にはイメージカラー(例えば、スポーツ飲料は青・白、茶系飲料は、緑)があることが分かった。また、多くの飲料では、パッケージのベースになっている色と飲料そのものの液体色が一致することも明らかになった。これには、イメージの固定化とパッケージの調和といった理由が関わっていると考えられる。なお、コカ・コーラ社のパッケージには企業カラーが存在することも分かった。

「空について」 R.N.
ジブリ映画には、多くの空描かれているが、その中で、観客動員数が多い『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』に描かれている空を考察した。その結果、空は、①登場人物の心境、②物語の展開、③時間の進行、④天候、⑤空間・場所の設定、⑥活動の場、⑦登場物の大きさを表していることが分かった。このように、空には7つの意味が付与され、積極的な役割が与えられている。空は、登場人物の心境を表す“俳優”であり、物語の時間管理をおこなっている“進行係”であり、物語がどのような方向に向かっているかを示す“ナレーター”でもある。もちろん、空は、登場人物が縦横無尽に動き回る舞台でもある。
「シュールな笑いについて」 C.F.
「よゐこ」と「ラーメンズ」の二組のシュールコントの分析を通じて、シュールな笑いとは何かということについて考察した。まず、笑いは、ズレに起因していると考えられる。そして、シュールコントには非現実世界が設定されていて、その非現実世界と我々の現実世界との間にズレが起きる。そしてそのズレは、大きく3つに分類できる。
① 破綻のズレ 非現実世界が崩れ、現実世界に引き戻されるときに起こるズレ
② 思考のズレ 非現実世界で使われる論理・倫理と現実世界で使われる論理・倫理との違いによって起こるズレ
③ 過剰のズレ 非現実世界をどんどんエスカレートして質量ともに拡大されて起こる現実世界とのズレ。このズレは、さらに「繰り返される過剰のズレ」と「エスカレートする過剰のズレ」に2分される。
「子どものお弁当のデザインについて」 H.M.
『らくちん働くママの通園べんとう』(高井久美子編集)を色と形のレベルで分析をおこなった。その結果、弁当に使用されている色彩は、赤、茶、白、緑、黄が多く使われていて、茶は、肉類・魚類、白はご飯やパンの色であり、栄養的な配慮が表れている色である。赤と黄は、プチトマトやイチゴ、ゆで卵等の色で、アクセントカラーとして用いられていると考えられ、色彩バランスという配慮が表れていると考えられる。つまり、栄養的な面と色彩バランスの少なくとも2要因によって、弁当の色彩世界が構成されていると考えられる。いっぽう、形の面では、顔と動物のキャラクターが多く用いられ、それらは、分離不安癒す移行対象としての機能を果たしているという仮説を立てた。
(ゼミ担当教員 石上文正)
次回は【環境論理学ゼミ】です。
2011年02月14日(月) | 歴史・言語文化コース | 固定リンク
【精神病理学ゼミ】卒業研究を終えて
卒業研究の口頭試問が終了し、卒業生もやれやれというところです。精神病理学ゼミでは今年は4名が卒業論文を提出しました。それぞれ「自閉症の対人関係の障害」、「アニマルセラピー」、「ロック・スターのジム・モリソン」、「子供の描画の心理学的評価の問題」を取り上げたものです。それぞれ参考図書を集めて読破するのには苦労したことと思いますが、例年とは違って文献調査ばかりだったのは少し残念です。自分でアンケート調査や聞き取り調査をした研究の方では、思ったような結果が得られなくとも、自分でやったという充実感は得られるものです。
さて大学の教師は、学生のお尻を叩いてお勉強させるだけでなく、自分も研究成果を発表しなければなりません。数年前から精神分析の創始者であるフロイトの著作全集が岩波書店から刊行されており、やっと完結に近づいてきました。私も既に平成20年に第10巻『ハンス・鼠男』の翻訳と編集をしましたが、引き続き昨年11月末に刊行された第3巻の「心理学草案」を担当しました。
臨床心理学の主な業務であるカウンセリング(心理療法)を創設したのが精神分析のフロイトです。その後まもなく、有力な弟子であったユング、アドラーなどが分派し、さらに第二次世界大戦後にはアメリカを中心に多数の流派が出現して、現在の多岐にわたる心理療法の状況を作り出すに至りました。しかし精神分析はなお有力なモデルの1つとなっており、それを創始者のフロイトに戻って勉強することは、心理療法をより深く理解する上では必要なことでしょう。
全集10巻は二つの事例報告を収めており、一つは「ハンス」という愛称で呼ばれている、フロイトの友人の5歳の男の子の動物恐怖症のケース、もう一つは強迫観念の内容から「鼠男」の愛称で呼ばれている強迫神経症のケースです。「ハンス」の言動は生き生きとしていて、翻訳の作業をしていてもその愛らしさに惹きつけられました。「鼠男」は、私の友人の精神科医も言っていましたが、フロイトの解き明かし方が「推理小説でも読むように面白い」。「鼠男」では、フロイト自身の面接記録が一部残されており、それを基にしてフロイトがどのように手を加えて出版論文にしたかを辿ることができるのも興味深いところです。
フロイトはもともと精神科医や心理療法家であったわけではなく、初めは神経細胞の解剖学の研究者であり、ついで脳神経病理学者でした。そののち催眠術を取り入れる形で心理療法家へ転向していったのですが、第3巻はこの初期の時期のフロイトの著作を集めたています。その中で「心理学草案」と呼ばれている論文は、フロイトが当時親しく文通していた耳鼻科医フリースに送りつけた手書き原稿で、のちフリースがなくなったあと、フロイトからの膨大な手紙とともに発見されたものです。フロイトは、例えば夢の隠れたい実を読み解くなど、無意識を読み解く作業を精神分析として行っていましたが、同時に人間の心がどのような構造を持っていて、どのように働くのかを解明したいという強い理論的な好奇心も抱き続けていました。彼は生涯にわたって、こうした心の一般理論を打ち立てる試みを繰り返しましたが、打ち立てては破棄し、また打ち立てるという繰り返しでした。このスタートになったのが「心理学草案」です。非常に難解な論文ですが、フロイトの理論をよく理解するうえでは重要な著作の1つです。
フロイトの著述は「心理学草案」のように難しいものも少なくはありませんが、まず読んでみようと思われる方にお勧めするのは、『精神分析入門講義』と呼ばれるものです。これは1917年にフロイトがウィーン大学で一般の聴講生向けに実際行った講義をもとに出版したもので、聞き手を意識して非常に分かりやすく、興味深く精神分析の考え方が説かれています。ただ岩波全集版は現在大阪大学総長の職に就いて多忙な鷲田清一先生のご担当で、出版はラストになりそうです。とりあえず文庫本でどうぞ。
(ゼミ担当教員 総田純次)
次回は【身体文化論ゼミ】です。
【環境経済学ゼミ】学ぶ上で重要なこと
教員の山根です。今回は普段私が授業などで話している、経済学を学ぶ上で大事なことについて取り上げたいと思います。
最近TPPという言葉をよく耳にします。環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Partnership)の略なのですが、要は環太平洋諸国の間で貿易を自由化しようという協定です。菅政権はこれを推進しようとしていますが、その一方で特に農業や漁業にたずさわる人々からは反対の声も上がっています。
そもそも、貿易の自由化はなぜ良いと考えてられているのでしょうか?一つには、国際分業のメリットがえられる、ということがあります。すべての国が自国内で自給自足する(作るのが得意なものも苦手なものも全て自分で生産する)よりも、それぞれの国がそれぞれ得意なものに特化して生産すれば世界全体ではより多くのものが生産できます。次にそれらを国際貿易の場で交換すれば、どの国もより多くの富が得られるのです。しかし、得意な分野を全く持たない発展途上の国があればどうなるのでしょうか?それも問題にならないと大半の経済学者は考えます。「比較生産費説」という経済学の理論に従えば、次のようなことがいえます。
ここに弁護士と秘書がいるとします。この弁護士は秘書よりも法律の知識が豊富であるばかりか、秘書よりもパソコンの操作が上手だとしましょう。ならば、弁護士が弁護士業と秘書業を兼任することになるかというと、そうはなりません。いくら両方得意であっても、弁護士の体は一つしかないからです。結局、弁護士が弁護士業を、秘書がパソコンの操作を行う分業体制をとるのがもっとも仕事がはかどる、というわけです。
自由貿易も同じ理屈で推奨されます。ここにA国とB国があるとします。A国はB国よりもワイン生産と織物生産の両方で秀でています。証明は省きますが、弁護士と秘書の例と同様に、この場合も、それぞれの国がその国内においてどちらかといえば得意な産業に特化して生産し、国際貿易の場でそれらを交換しあうことが両国にとってもっとも効率的であるということになるのです。
しかし、これは理屈としては正しいとしても、本当に現実の経済に合致しているのでしょうか。実は上の例では、ワインや織物を作る人や工場は一国内にとどまるという前提が隠されていました。ですから、得意な産業分野を持たない発展途上の国から産業が全てなくなってしまうということは起こらずに、各々の国はワインと織物のうちそれぞれ得意な方の生産に従事できたのです。ところが、秘書の体を弁護士の体に移転するというのは確かに無理ですが、B国の人や工場をA国に移転させることはできますし、現実の国際経済でもそのようなことは日常的に起こっています。グローバル化を推進すると各国がより多くの富を享受できるというのは、製品、つまりワインや織物の貿易のみを自由化した場合に限っていえることです。そのワインや織物を作る人や工場の移転の自由まで認めれば、そのようなことは必ずしもいえないのです。
実をいうと、この比較生産費説の理論は19世紀初頭に活躍したイギリスの経済学者D.リカードが定式化したものです。当時資本主義の先頭に立っていたイギリスにおいてさえ、工場が他国に移転するということはほとんどありませんでした。また、リカード自身もイギリス国民が故郷を捨てて外国に移住することや、工場が他国に移転されてイギリスの産業が空洞化することを決して望んではいなかったといわれています。どんな学問においてもいえることですが、単に教科書で理論を学ぶだけでなく、その理論が「いつの時代」の「どの国」で「誰が」考え出したのかを知ることが重要です。しかしながら、現場を知っていると豪語する企業人や政策担当者でさえ、旧式の理論を最新の理論であると誤解して信じている場合があまりにも多いように思われます。TPPについて考える際にも、より公平な立場から議論することが必要でしょう。
(ゼミ担当教員 山根卓二)
次回は【精神病理学ゼミ】です。
【現代文明論ゼミ】今年の卒業論文が出揃いました
私の研究室からは2点ですが、他の研究室の卒論を副査として審査することも含めると、全部で8点ほどの論文を読みます。初めて長文の論文を書くという経験は、4年生にとって大変な試練だと思いますが、やはり「学士」にふさわしい力を持っている証拠として卒業論文を書かなければ、卒業することはできません。

写真 審査対象の卒業論文(力作もそれなりのものもあります)
「現代文明論」ゼミから提出された論文の題目は、前回のブログでお伝えしたように『合理主義への反乱』と『オンラインゲーム経済』です。
『合理主義への反乱』は、今なぜ、合理主義の世界観(学校教育で教えられる公式の世界観)では受け入れられていないはずの水木しげるさん描く妖怪などが流行しているのかを考察したものです。論文では、そこに理性や効率を過度に重んじる合理主義への反乱を見ると同時に、実は、妖怪そのものまで合理主義に組み込まれてしまっているのではないかと論じています。
『オンラインゲーム経済』では、ゲームマネーを用いたゲーム内の取引、ゲームへの新規参加者を獲得するためのゲーム会社の工夫と課金システム、オンラインゲームの性格とゲーム内経済のマクロな傾向、さらには合法・非合法にゲームマネーとリアルマネー(現実のお金)の交換が行われている現実、そうした交換を合法化する場合の条件や持続可能な仕組みなどを考察しています。
(ゼミ担当教員 奥田 栄)
次回は【環境経済学ゼミ】です。


