ゼミリレーブログ | 人間環境大学

バックナンバー:2011年05月

【環境倫理学ブログ】東北大震災にみる人間と自然の倫理

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震災前の穏やかないわき市の砂浜(新舞子浜)。はるか彼方に福島第二原発を望む。


波が引いたあと、自然をはるかに超えた力を手に入れたという私たちの思い込みは、覆されていました。人間が作り上げてきたものは、思っていたよりも儚いものでした。
私たちはたしかに自然の一部であり、人間が造ってきたどんな建造物も、やはり自然に還っていくべきものでした。もちろん、人間自身も死んで自然に還っていきます。それを自覚していた昔の人々は、自然、そしてそのうちに生きる人間のうちに無常というものを見つめていました。


人間の生き方を考える倫理は、人間のことを考えるだけでは足りなかった、それは地球規模の環境問題で見えてきた問題でしたが、それでも私たちは自分たちを自然のほんの一部として見ることができなかった。温暖化を克服するための原子力発電という選択は、もしかすると、蟷螂の斧であったのかもしれません。


これからこの災害をきっかけに大きく環境倫理思想も変わってくるかもしれません。近代的な合理主義の考え方の限界は、現代文明を支えている巨大な科学技術の限界として、誰もが認めるものとなりました。隠されてきた人間の死が目の当たりにされて、人間はわずかな寿命の差こそあれ、いずれにしても、ほんの短く儚い一生を終える。もはや、だれもが古人のように覚悟しなければならないのだと、否応なく気づかされました。古人の人間の一生に対する深い思いに、ようやく思い当たることができたのだともいます。


契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 なみこさじとは


私ごとですが、以前住み慣れた多賀城に被害が大きかったことには心が痛みました。百人一首に歌われた多賀城の末の松山にまで波が到達したのは、平安時代の貞観の津波以来です。当時、数千人が犠牲になったといわれるその同じ場所で、千年のときを経て多くの犠牲者が出てしまいました。千年を経ても人間と自然とが全く同じ関係にあったということです。


災害や環境破壊に備えて、さらに巨大な構造物を日本中に、あるいは世界中に建設するのか、あるいは、人間と自然との関係に自覚した古くて新しい生き方を見つけようとするのか、環境倫理学はこの問題を考え抜かなければなりません。






(ゼミ担当教員 内藤可夫)



次回は【人間関係論ゼミ】です。

【社会・文化環境論・身体文化論ゼミ】アウェイにおけるサッカーのサポーターの振る舞いについて

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名古屋グランパスのサポーター側から見た、ヴァンフォーレ甲府のサポーター


ゼミ生のA.H.さんが、名古屋グランパスのアウェイ戦を観戦し、アウェイ戦におけるサポーターがホーム戦と比較して、どのような振る舞いをしているかをゼミで発表し、みんなで考えてみました。


以下の文章は、A.H.さんがまとめたものです。


私は、5月15日(日)に、山梨県の甲府市まで、名古屋グランパス対ヴァンフォーレ甲府のサッカーの試合を観戦しに行ってきました。そこで、今まで何回か行ったことのある名古屋でのホーム戦と今回はじめて観戦したアウェイ戦におけるサポーターの振る舞いの違いや、不思議に思ったことを、名古屋グランパスのサポーターの立場から分析してみました。なお、試合は、残念ながら、3対1で、グランパスが敗れました。

まず、わざわざ県外に応援に行くことから、サポーターたちは、“本当のサポーター”という意識を強くもっていると考えられます。それは、アウェイ戦に来ているサポーターのほとんどがチームのユニホームを着ていて、スニーカーなど飛び跳ねながら応援できる、しっかりとした装備をしていたことからうかがい知ることができました。少なくとも、アウェイ戦では、外見的には均質的でした。いっぽう、ホーム戦では、普段と変らない格好のサポーターも多いという印象をもっています。このように、試合を観る姿勢や選手と一緒になって戦うという姿勢が、服装や装備の違いになって現れていると感じました。

試合中サポーターは、チャント(応援歌)を歌ったりして選手を応援します。チャントは多くの種類があり、何回も試合に行っていないと覚えることが難しいのですが、今回の試合の前に応援団長から、新しいチャントの発表(説明)がありました。その際に「このチャントを今日しっかり覚えて、ホームで皆さんに教えてあげてください。」と呼びかけていました。この言葉遣いから、アウェイ戦にわざわざ応援に来るサポーターは、チャントをすべて知っていて、「教える」立場にあり、“本物”であるという意識があると感じました。

また、私がアウェイ戦に行って一番驚いたことは、グランパスのサポーターが味方チームの選手にも激しい野次を飛ばしたり、応援を止めてしまったりしたことです。どんな時でも、真のサポーターだからこそ選手の味方になるものだと思っていたのですが、動きの悪い選手や、ミスした選手には容赦なくブーイングしていました。時間とお金をかけて観戦していることや、ほんとうに好きだからこそ、不甲斐ないプレーを見たくないという気持ちが野次に繋がるとは思うのですが、だからこそ応援は激しくなることはあっても、なくなることはないのではないかと考えていましたので、応援を止めてしまったことは、不思議でした。

ですが、改めて考えてみると、アウェイ戦に来ているサポーターはこの先の試合にもほとんどの人が行くでしょう。そうなると、ホーム戦の観戦にある一定人数混じっている、初めて来たサポーターや、年に数回しか来ることのできないサポーターと違い、アウェイ戦に来ているサポーターは、「次の試合」を見据えて応援しているからこそ、試合を一回きりの良い思い出として残そうとして、すべてを楽しもうとするのではなく、試合をシビアに受け止め、選手やチームに厳しくなるのではないかと思いました。

じつは、今回のアウェイ戦は、ホーム戦と比較するには、特殊要因が多く、適した試合ではなかったと思います。一般的なアウェイ戦と違い、次に挙げる特殊な環境下であったことも、サポーターが選手やチームに厳しくあたった要因ではないか思います。

まず、名古屋グランパスとそのサポーターは、去年のJ1の王者であるという自負を持っていただろうし、相手のヴァンフォーレ甲府が去年までJ2のチームであったため、グランパスからみて、“格下のチーム”と認識されていたであろうことは、容易に想像できます。しかし、それにもかかわらず、グランパスが敗れたことが挙げられます。つまり、グランパスのサポーターにとっては、勝利への期待値が高かったにもかかわらず、敗れたため、その期待と結果の落差の大きさが、サポーターの落胆の大きさにつながったのではないでしょうか。

また、ヴァンフォーレ甲府は、J2からJ1になったばかりのためか、サポーターの応援が確立されていなく友好的であったという印象を受けました。対戦相手のサポーターの応援が激しければ、味方のサポーターの応援もそれに呼応して激しくなると予想できますが、そのようなことは起こりませんでした。

ホーム戦とアウェイ戦のサポーターの振る舞いの違いを分析してみましたが、さまざまな現象が、アウェイ戦に起因しているのか、それとも上で述べた特殊要因に起因しているのか、不明な部分が多く、しっかり分析できたとは言えません。ともあれ、そのチームを好きという気持ちが、服装や装備に現れるのと同じように、アウェイ戦に行くということ自体が、そのチームを好きという気持の表現の一つであり、サポーターの証しであると思います。






(ゼミ担当教員 石上文正)



次回は【環境倫理学ゼミ】です。

【環境経済学ゼミ】賢い消費とは?

教員の山根です

今日は環境問題と一見関係ないように思える、消費者の心理に関する話をします。

通常、経済学では消費者は賢い買い物をすると想定しています。つまり、必要なものを必要なだけ買って幸せになると。本当にそうでしょうか。

消費者は何を手がかりに買い物をするでしょうか。店に行って手当たり次第に買うということももちろんありますが、広告やチラシを見て買う場合もあります。また、店頭にも商品についての情報がいろいろ書いてあります。消費者はそうした情報を利用してよりよい消費生活を送ることができます。

しかし、広告にはいらない情報もときに載せられているかもしれません。例えば、流行に関する情報。でも、快適に暮らすためには、服には体温を維持したり皮膚を保護したりする機能さえあれば十分なはずです。

こう言うと、おしゃれをしたいという気持ちがあるのだからそれを満たさなければ豊かな生活を楽しめない、と反論する人もいるでしょう。

でも、「おしゃれ」であるという基準は誰が決めているのでしょうか。私たち消費者ではありませんよね。また、基準は年々コロコロ変わります。基準が変わるたび、私たちは不安になります。流行に乗り遅れているのではないかと。

つまり言いたいのは、おしゃれをして楽しむ前に、一度不安にさせられているではないかということです。「この神様を信じないとたたりがくるぞ」と同じだ、というと言い過ぎでしょうか。

もしこのことが正しければ、私たちは永久に安心できないことになります。ある年の流行の服を何年も着ていると今度はその服は古い、と言われてしまうのだから。

また、新しい流行がやってくるたびに、古い服はタンスの中に消えるか捨てられることになります。何という資源の無駄遣いでしょうか。

資源の枯渇が起こってから環境政策をとる、ということももちろん必要ですが、こうした制度的・文化的要因にも目を向けてはいかがでしょうか。






(ゼミ担当教員 山根 卓二)



次回は【身体文化論ゼミ】です

【現代文明論ゼミ】忘れ去る うつろいの 落とし穴

最近私は、地元の風景が短時間で変わっていく様を見て改めて淋しさを感じました。幼少の頃の記憶と現状の風景とのあいだにズレが生じてしまっています。


思い出の場所が駐車場になっていたり、池や沼が埋め立てられてマンションになっていたりします。少し前のことですが、近くに駅が誕生し、それに伴ってバスが通るようになり、街は活気づきました。その結果、新しくお店ができ、道路が舗装されました。私は、その利点を有効活用していますが、本当にこれでいいのかと思ってしまいます。思い出や自然を排除したものが、このまま私の生活の一部に溶け込んでしまっていいのか。


技術は誰にでも真似のできるもので、それを利用したサービスなどは対価を払えば誰でも享受できるようになっています。しかし、技術を直接的にも間接的にも利用しないとなると、今の生活はありません。利用しなければ、呪縛からは開放されますが、生活の質は格段に落ちます。このような質の低下を嫌っている限り、技術と私は切っても切れない関係です。


当たり前だと思っているものが敵だとしますと、価値の転換でしかこの考え方はひっくり返りませんね。でも、福島第一原子力発電所の事故は、この価値転換を少しだけ後押ししてくれたかもしれません。






(ゼミ生4年 M.H.)



次回は【環境経済学ゼミ】です。

【英語コミュニケーションゼミ】 今年度のゼミがスタートしました

今年は3年生2人(うち1人は他のゼミに所属)、4年生2人でスタートしました。
3年生は卒業論文のテーマを設定すること、4年生は卒業論文を完成することを目的
としています。学生の成長が楽しみです。

今年の授業のテーマは、「言葉で正確に伝える方法を習得する」です。日本人同士
なら全部言わなくても何となく伝わった気になることでも、相手が欧米人だとうまく
伝わらないことに気づき、どのように表現すればちゃんと伝えることができるのかを
考えていきます。

このことは英語でコミュニケーションする場合にも、日本語でコミュ
ニケーションする場合にも重要なことで、卒業論文を書くときにも必要な技能です。






(ゼミ担当教員 岡良和)



次回は【日本美術文化論ゼミ】です。

【日本教育史ゼミ】新年度のゼミがスタート!!

今年も、新年度のゼミが始まりました。一回目はおもむろに4年生の卒論の進捗状況の報告から。新たにゼミへ入ってきた3年生は実に神妙な顔つきで、聞いておりました。

今年は、「加藤弘之の教育思想の研究」、「西周の研究」、「二宮尊徳の教育思想」や、変わったところでは、「経世済民思想の研究」、「松平信康の死について」などが。

いつも思うのですが、うちのゼミ生はどうも真面目なタイプの学生が多いように思います。教育史、歴史全般なのですから、もっと、自分の興味のあるテーマも撰んでもいいよ、と常々話してきた積もりですが。

数年前に卒業した学生には、おもしろいタイプが多く、「外郎成立史」、「トイレの歴史」、「おもちゃの研究」などという卒論も。これも立派な歴史研究です。とりわけ、おもしろかったのは、「外郎成立史」。外郎に目を向けた理由もいい。本人が名古屋の外郎が好きだからと(山口、小田原、伊勢など全国各地に外郎はあるんですが)。しかし、「外郎」とは、お菓子そのものではなく、中国の王朝における「薬剤師」の役職名だったとは、私もびっくりしたものです。

いずれにせよ、これから卒論完成までの長い戦いがスタートしました。昨年まで何度か経験した、12月末になっての、「書けません。テーマを変えたいのですが」などという電話だけはないようにと、念じつつ、元気いっぱいに走り出した学生等の「奮励努力」を祈念するばかりです。





(ゼミ担当教員 川口雅昭)



次回は【英語コミュニケーションゼミ】です。

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