【環境経済学ゼミ】ブータンと「国民総幸福量」
環境経済学担当教員の山根です。
最近、ブータン国王夫妻が来日されましたが、お二人のにこやかな表情が話題になりましたね。ブータンは「国民総幸福量」(GNH)という指標を提唱している(実際は前国王が二十数年も前に提唱し始めました)ことで注目されています。これは多くの国々が豊かさの指標としている「国内総生産」(GDP)とどう違うのでしょうか。
数年前に日本の佛教大学で開催された講演の中で、前国王妃が次のようにおっしゃっています。「世界の人口の大半が、極度の経済的苦しみに直面していることからして、物質的発展が必要なことは自明です。と同時に、いわゆる「富んだ半球」である北半球でも、心配、不安、ストレスといった精神的苦しみが大きいことを考えると、精神的発展が必要なことは、それ以上に明白です。技術革新、世界市場化といった現象は、私たちの欲望および消費をますます煽り立て、私たちをいっそう官能主義的にしています。そうした中で、先進国、開発途上国を問わず、世界の人々および政府は、よりよい生活と一層の幸福を確保しようと努力しています。しかし、皆様もお気付きのように、現在の経済の主流は、個人が消費者であること、そして消費者が王様であることを正当化し、個人をその快楽に溺れさせています。こうした近代化の中では、人々はいっそう消費に走り、ますます消費の自由を追求します。市場にとっては、それが売り上げを伸ばし、拡張する唯一の道です。こうした近代化の理論は、一般には疑問視されることはありません。しかし仏教徒としては、はたしてそれが倫理的な制度に基づいた本当の幸せをもたらすものかどうかを、考えねばならないと思います。」(佛教大学アジア宗教文化情報研究所研究紀要 (1), 35-36, 2004 )
前国王妃は、先進国の人々が追求する幸福は間違った幸福であるとはっきりおっしゃっています。ぜいたくな消費は少しばかりの快楽をもたらすけれども、それ以上の苦しみを生み出すと仏教徒は考えます。欲しいものを手に入れると、それよりもっといいものを得たくなります。そうした余分な欲望を抱くことは、本当はストレスであるのに、先進国の人々は気づかずにむしろ幸福だと思ってしまうのです。
昔私が大学院生だったときに、ブータンの留学生がいました。その方はいつもニコニコしていて、私は彼が怒っているところを一度も見たことがありませんでした。今思うと、なるほど、と思うのです。
しかし、これまで欲張ったり怒ったりすることに慣れてきた私たちは、なかなかブータンの人々のようにニコニコすることができません(かく言う私も苦労しているのですが…)。では、どうすればよいのでしょうか。先ほどの前国王妃のお言葉の続きはこうです。
「仏教では、私たちが幸せで、健全な社会生活を送るためには「四無量心」すなわち4つの無限の心、第一に人に楽を与える慈無量心、第二に人の苦しみを無くす悲無量心、第三に人の喜びを自分の喜びとして喜ぶ喜無量心、そして最後に恨みを捨てる捨無量心、この4つが必要であると教えています。」
これは仏教において「慈悲喜捨」(じひきしゃ)と呼ばれるものです。仏教徒はあらゆる生命(自分を含む)の苦しみがなくなることを願ったり、あらゆる生命の喜びを自分の喜びとして喜んだりする訓練を子供のころから当たり前のようにしているのだそうです。競争社会でいつも他人を蹴落とそうとしているわれわれにとっては非常に難しいことですが、慈悲喜捨を習慣化するべきだと前国王妃はおっしゃっているのです。
「そんなことはきれいごとだ」と否定する前に実行してみるとよいかもしれません。本来、仏教は実験や実証を重視し、確かめもせずに神がかり的な何かを信仰することは推奨していないそうですから。
(ゼミ担当教員:山根卓二)
次回は【身体文化論ゼミ】です。
2011年11月28日(月) | 経済・経営コース


